まらえもん イズ ノット デッド

柿生スタジオのまらえもんが綴る日常です。

大きなことばかり言って疲れないですか?

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今回は単純な雑記です。

パラパラガス抜きで書きます。

 

トゲがあるような書き方ですが、特定の誰かに向けている意図はありませんし、全員がそうというわけではありません。

あしからず。

 

 

前向きな言葉で溢れている

 

最近Twitterでフォローをもらうときにきづいたのですが、「お金を稼ぐ方法論」や、「事業家のなりかた」という記載がある方が多くいました。

 

そう言う人のツイートを覗くと、圧倒的成長だったり、前進!ということだったり、

前向きな言葉で埋め尽くされているんですね。

 

それが一人二人ではないんです。

 

僕が生きてきた世界ではそういう言葉で埋め尽くされていることはありませんでした。

 

純粋に凄いと思います。

ただ、同時に息苦しいなあと思いました。

 

勿論全員が全員そうではなくて、中にはこういう辛い経験があった、だから頑張らないと思った!という記載があり、そのことは心底素敵だし素晴らしいと考えています。

 

それ以外の人たちの、前向きな言葉しかなくそれだけしか許容しない世界って一歩踏み外したとき復帰できない気がするんです。

 

脱落してしまったらその脱落した事実で立ち直ってはいけない烙印になるようなイメージです。

 

1歩進んだだけでも良い

僕が理解できていないのは、そういう高い次元にいる人たちの世界を経験してないからです。

 

1歩の歩幅があまりにも大きく、僕自身が進んだ、あるいは進んだと思いこんでいる距離を鼻で笑うような次元だと思います。 

 

でも、きっと僕と同じような時期はあったはずだと思うんですよね。

同じ位置にいた辛さや苦労を経験しているはずなんです。

 

それなのに、「今の生き方でいいのか?」の聴き方が「お前は間違ってるぞ」と言うふうに聴こえるときがあります。

 

分かってるからこそ言えるとは思いますし、実際そのとおりで間違っているのでしょう。

 

でも、初心者のときの気持ちをどこかに置いてきたのでしょうか。

あるいは、置いていかないといけない理由があったのでしょうか。

 

その今まで生きてきた過去を否定するような言い方は必要なのかなあと思います。

 

僕の思い込みや、悲観的な気持ちがそうさせているのかもしれませんが、唐突にそう感じるときがあります。

 

この1歩は少なくとも前に進んでる1歩のはずなんだけどなあ。そんなに悪いものなのか、と。

 

君は変わらねばならない

君は変わらないといけない、と善意で言う方もいます。それはおおよそ正しいでしょう。

 

正解、この場合で言えばよりお金を稼ぐためには「変わる」必要があるということです。

 

その変化は必ず成し遂げるものであり、成人式の儀礼と同様に通過しなければ行けない類のもので、お金を稼ぐには変わらなければいけないのでしょう。

 

相当な葛藤です。

 

変わらなければお金は稼げない。

けど、変わってしまえば大事なものを失う気がする。

 

素直でいればいるほど、善意を享受できるし、前に進むことはできる。

 

でも、それを受け入れすぎてしまった人は同じことを繰り返して言っているグループに見える。

 

僕から見た本当に凄い人は、そういった違和感を一切覚えませんでした。

 

その凄いという感覚が間違っているかもしれませんが、信じていいときもあるはず。

 

変わる必要があるものの、全部変わらなくても良いのかな、と思います。

 

じゃあ凄い人ってどんな人?

本当に善意で溢れている人です。

誰かに対して全力で支える人です。

 

全く持ってそんなこと僕はできていません。

だから会ってみたいし話をしたい。

 

お金の稼ぎ方が知りたいですか?と聴いてくるのではなくて、「なにか困っていることはありますか?」から聴いてくれる人。

 

それは騙す戦略の始まりかもしれないけど、

少なくともその後の話を聞けば、嘘かホントかは分かるはず。

 

そういう人に会えるように進みたい。

だから、変わるのはお金のためというより、凄い人に会いたいからかもしれませんね。

 

何が言いたいか

辛いときに辛い、嬉しいときに嬉しいと言っていいはずなんですよね。

 

全てを無理に「今幸せです!」という必要は無いと思っています。

 

ただ、引き寄せの法則を信じているから、辛いときでも上手く行く予感が常にする、という思いではいます。

心の持ちようとしてですね。

 

何でもかんでも全てが万事オッケーではないし、全てが悲しいことばかりでもない。

 

自然体であるときも必要なんじゃないかなあと思っただけです。

 

違和感を覚えたのは、誰しもがみんーな同じことを言っている錯覚に陥ったからです。

決してそんなことはないはずなのですが。

 

柿生スタジオのまらえもんでした。