素直に謝る力

f:id:marakayan72:20190705185518j:image

素直に謝ることは大切です。

自分の主張をきちんと伝えることと同じくらい、誤りを認めることは大切です。

謝ったからといってあなたの価値が下がることはありません。

今日の記事では謝ることについて触れていきます。

 

 

謝れないのは何故だろう

時折、自分の非

を一切認めない人がいます。

 

例えばの話をしましょう。

 

「昨日はこう言ってましたけど、今日はこう言ってますよね。どちらが正しいですか?」

 

確認のため、相手に指示が変わっていることを聞くとします。

すると相手はこう返します。

 

「あのなあ、指示なんて言うのは1日1日変わるもんなんだよ!黙って言うこと聞け!」

 

朝令暮改よろしく、一喝すれば何とかなると思っているのかもしれません。

でも、これって怒る必要あると思いますか?

 

単純に「昨日の状況が今日でこう変わった。だから申し訳ないけど、こうしてもらえる?」

 

この通り伝えてくれれば良いと思うのです。

なのに謝らず怒るだけ。

 

恐らく、謝ることができないのは、謝ったら謝った分だけ自分の価値や権威が下がると思っているからです。

 

謝ることをせず、怒って毎回乗り切る人はそれが正解だと信じています。

先ほど書いたとおり、自分の価値や権威を下げず、相手が悪いという構図にできるからです。

 

そうなると、他の方法を取ることができません。相手の心情を顧みることなく、優越感にひたれますからね。

 

謝ることは認めること

謝ることは、自分の非を認めるとともに、それを伝えてくれる人を認める行為だと思います。

 

ミスや漏れというのは人間誰しもあるはずで、どれだけ気をつけていても人の手が加わる以上0にすることは不可能です。

 

そんなとき、他の誰かが指摘してくれたり教えてくれることは重要です。

 

そのおかげでミスは減り、一つでも前に進むことに繋がるのです。

 

僕はIT業界にいますが、IT業界というのは文字一つ違うだけで大きなミスにつながってしまいます。

 

だからこそダブルチェックを設け、ツールを使ってチェックをし、ミスを0に近づけます。

 

その時のミスを一つ一つ「これは言われたとおりやっていただけだから自分は悪くない」と言い続けるでしょうか?

 

きりがありませんし、あり得ません。

 

ミスは誰でもあるもの、謝って指摘してくれたことを感謝したほうがよっぽど有益です。

 

とてつもなく指摘された過去

実は僕は一切非を認めていませんでした。

それも、非を認めていないことに気付いていませんでした。

 

恐ろしいことに、自分はよくやっていると思い込んでいました。

 

だから、誰かが指摘してくれたとしても、「これは考えがあってやっています!」と何にでも反論しました。

 

自分を悪く言われている気がして、また、自分の非を認めれば更に悪く言われてしまうと思い守ろうとしていたんですね。

 

でもそれが「生意気だ」と言われ続け、本当に辛い思いをしました。

 

どうしても言われたくないなあと思い、思いついたのが「じゃあ一切反論せず認めてみるか」ということ。

 

そこでようやく気が付いたんです。

 

あれ、自分ってこれだけ反論しまくってたの!?ということに。

 

反論せず、相手の言うことに対して耳を傾けて謝る。

すると、相手の態度が柔らかくなったんです。

 

この人が怒っているのは自分の話を聴いてくれてない!って思ってたからなんだなあと思いました。

 

それから僕は素直でいることを心がけ、何を相手が考えているかを先回りして読もうとしました。

 

それがうまくハマり、現場が変わっても色々な人が褒めてくれるようになりました。

 

でも、自分が何か変わったかというとそんなことはありません。

 

謝って認めることは、人格を変えることではなく、一つの技術です。

単にそれだけです。

 

僕はこのことに気付いて少し楽になりました。

 

注意すべきこと

何にでも怒って見当違いのことばかり言う人がいます。

 

素直に非を認めることは大事ですが、何にでも謝る必要はありません。

 

大前提として、あなたの心に傷がつかないようにしてくださいね。

 

誰にでも怒る人に対して戦う必要はありませんし、受け入れることもありません。

 

素直でいることは、傷付いてまで続けることではないので…。

 

 

少しでも参考になれば幸いです。

柿生スタジオのまらえもんでした