ブロガーに向いている人の特徴を知るということは何につながるか。
個人的に「ブログを続けてみても良いのか、あるいは始めても良いのか」
ということを考えることに役立つものだと思います。
あなたがブログについて興味を持っているのであれば、一読してみてください。
逆説的なお話になってしまいますが、向いているか向いていないって本当はないのだと思っています。
画面の前で「?」となっていますでしょうか。しばしお付き合いください。
まずは「ブロガーに向いている人の特徴」について簡単に書いていきます。
どれか一つに当てはまっていれば、自分はブロガーに向いているんだ!と思うことが出来るでしょう。
ブロガーに向いている人の5つの特徴
一人でいることが好き
一人でいることが好きというのは、友達がいないことを肯定するための言葉だけではありません。一人で作業が出来るということは、とても素晴らしい才能の一つです。
誰かと話しながら作業をすることで捗る人もいるでしょう。
ただブログに費やす大多数の時間は以下の通り。
- リサーチを行い情報を集める
- 集めた情報を基に構成を練る
- 構成通りに執筆する
- 修正、確認作業、投稿
上記の流れなのです。一人でとことん出来る作業がずらっと並んでいます。
故に誰かと話しながら行うものが無いだけに、一人でいることが好きというのはアドバンテージになりえます。
継続して作業が出来る
ブロガーに向いている才能の一つに継続性があります。
継続性自体はどんなことにおいても重要視される要素の一つではありますが、中でもブロガーは書いて自身の存在を広めていくことが重要です。
そうなると、自分は何者かを知ってもらうために、ブログの記事が名刺代わりになるのです。
そのため、継続して作業が出来れば自分を知ってもらう機会がそれだけ増える訳ですね。
構成を考えることが好き
話をするときにオチを考えて、そこから組み立てる・・・とか。
ロジカルに何かを考えることが好き・・・とか。
戦略を練ってどうしたら良いかを考えるのが好きだと本当に良いですね。
読むときのことを考えると、先に結論があって何について書いている記事かを知りたいはずなんです。
そこから逆算すればどういった文章だったら引きが強いかを考えられるので、やっぱり構成を考えることが好きだったら非常に強いです。
歴史物で言う軍師に惹かれるとかは最高ですね。
タイピングが苦ではない
単純に作業のお話なのですが、考えられるんだけど手を動かすのは苦手だ・・・。という方もいらっしゃると思います。
その場合でもひたすらに打鍵できるのは強いです。
タイピング自体は慣れですからね、速度はどんどん上がっていくものだと思います。
量をこなすことで問題ないと思いますので、あまり気にしなくてもいいかもしれません。
反応を期待せずにいられる
意外と重要な点が「反応を期待しないでいられる」ということです。
ブロガーは孤独です。というのも、書いた記事に反応が無いということが普通です。
華やかな世界ばかりがクローズアップされ、至る所で「○○でPVが100万越えました」とか、「何万円稼ぎました」ということが目に付きます。
しかし、実際は読んでもらえずアクセス数は伸びないし、どうしてこんなにダメなんだ・・・と思ってしまうことが大半です。
報われないまま終わっていくこともあります。
だからこそ、反応を期待せずに更新できるということは大事なことです。
いつか実を結ぶかもしれない可能性をつぶしてしまうのは「辞める」ことですから。
ここまでが序章
さて、以上の5つは例ではありますがあてはまりましたか?
当てはまったら是非あなたもブログを始めてみてください!
辛いこともあると思いますが、きっと素敵な未来を手に入れることが出来るでしょう。
・・・・・・。と言って終えるところです。普通は。
でも、それだと面白くないので、続きを書いていきましょう。
勧めることの責任って良いところだけをクローズアップするだけではなく、
どういう角度で見る必要があるかまでを提示することだと思います。
だからこそ、その先の姿を想像してもらえるのが面白いんじゃないでしょうか。
向いているかどうかは果てしない対話の末の葛藤である
向いているかどうかって結局どうでも良いことなんだと思います。
僕は未だに向いているかどうか分かりません。それどころか才能のかけらもないと思っています。
以前思っていたブロガーの才能というのは「物凄く面白くてサラッと書いてしまって誰にもまねできないもの」だと思っていました。
ところが、色々なブログを読んでいくにつれ、実は私が思い描いた才能の姿って幻影だと感じてきました。
そうなると、「才能ってなんだ?」ということを考えるのです。
先天的なもの?後天的なもの?それとも運命に選ばれたから・・・とか?
色々考えるのですが、どれもこれもしっくりこない。
向いているかどうかを考えるのは、「答えが無いものを探す」行為に他ならないと思いました。
答えが無いものを考える行為に意味が無いと思いますか?
私はそう思っていません。哲学がこの世に有益な学問として確立したのは、
そこに価値を見出したからに他なりません。
すなわち、「答えが無いものをひたすらに探究する行為」は、自分が自分で足りえる確信を得られる意味のある行為なのではないでしょうか。
書く行為は「そこに在る」ということを突き詰めていく作業の一つ。
だからこそ尊く、そこに自分を当てはめて共感を生み出す。非常に魅力的です。
では、本当に私が書きたかったブロガーに向いている要素を書いてきます。
好きかどうかを考えられる
ブログを書くことは好きですか?そもそも好きってどういうことか分かりますか?
好きって無くてはならないものだと思います。
それなしでは生きていけないというような思いであったり、時には無くても良いのに気づいたら隣に寄り添ってくれているものだったりします。
好きって凄く温かいものですが、時に辛いものだったりします。
私の好きなバンドに「ネクライトーキー」というバンドがあります。
愛してるけど音楽大変ね
ネクライトーキー/音楽が嫌いな女の子
この歌詞にある通り、愛しているのに突き放されたかのように思うことさえあります。
それなのに、また戻って愛することをやめられないような魅力があるもの。
僕はそれが「好き」なのかなあと思っています。
「そんなんで好きって言ってるの甘いよ?そんなの好きじゃないよ」って言われたり、思われる場合がありますよね。
だから、誰かに語れないから好きじゃないんでしょ?という反論を受けることがあるかもしれないですが、何となくでも好きでいたらそれでいいと思います。さっきと矛盾するんですけどね。
そもそも、「好きかどうかを考えられる」ということが重要で、その世界まで引き上げて考えた瞬間やっぱり好きなんですよ。
そもそも引き上げようとしなくても無意識に引き上げてたりもして、好きってやっぱり厄介な感情だったりするのかもしれませんが。
漠然と抱えた「好き」を整理しないまま走ることが出来るならそれでいいはずです。
好きでなくても続けたいかを考えられる
次は感情ではなく、論理的に考えた後の話です。
好きではないのに続けたいものなのかどうか、というところ。
それはお金を稼ぐために効率的であるからなのか、手軽に始めることが出来て費用対効果が大いに得られるからなのか、人気を取りやすいから、とかいろいろあると思います。
そういう戦略を組みやすく、一発当てられるような自信があるからだったら相当良いですよね。ゴールドラッシュです。
ただ期待値を考えた場合、恐らくブログってそんなに魅力的に映らないかもしれません。
続けるという労力に見合うかどうかを突き詰めて考えるなら微妙です。
それでも続ける理由を考えることで、明確な目標を立てられるはず。
メリットが無くても始めたいと思える
続けたいかどうかを考え、結果的にメリットがないと思うかもしれません。
それでも記録として残したいとか、憧れている人に少しでも近づきたいとか、色々思うところがあると思います。
結果的に忍耐力につながるのですが、そういう気持ちの面で支えがあると良いですよね。
美味しい面や、綺麗な面だけではなくて、辛いところや苦しいところが分かるんだけど、それを踏まえてやりたい!っていう気持ちは強い。
誰かの為だけでは生きていけないけど、誰かの為を少しでも持って過ごせるってかっこいいです。素敵です。
デメリット上等、というより、お金をかけずに書けるからこそ結果に必ず結びつけよう!と思わずに、シンプルに始めてシンプルに続ければ良いのではないでしょうか。
何故、ブログで無くてはいけないのかを考えられる
これが最大のポイントかもしれませんね。
ブログである必要性ってどこにあるのでしょうか?ということです。
何となくだって良いだろうって思いますよね。実際私もそうです。
ブログで無ければいけないって「あなたなしには生きていけない」って言うくらいとても難しいことだと思います。
実際君じゃなければ私はダメだ!って言ってたのに別れることだってあるじゃないですか。
信じたのに裏切られた!とか思うけど、その時思った気持ちって嘘じゃないはずです。
そして、リアリストや比較が上手い人だったらあっさり言える内容です。
Webライティングに比べ・・・Youtubeに比べ・・・ニコニコ動画にくらべ・・・。
そんな風に土壌を比べていくことが出来ますが、そうじゃなくても良いと思います。
目的に合った内容であれば良いのです。
- 自分という存在を知ってもらいたい
- 価値ある情報を伝えたい
- ブログを楽しいと思えたから今度は自分で書いてみたい
これらの理由が「ブログで無ければいけない理由」かといえば弱い。
ビジネスでとらえればもっとシビアに突き詰めるべき。
そこまでしたいかどうかを覚悟を決めてスッと飛び込むか。
本当に必要なのはその覚悟だけかもしれません。
最後に
つらつら書いてきましたが、結局のところ、「向いているとかどうでも良い」と思います。
それが分かっているけど、自分は「向いているかどうか」から逃げられない。
それは自分に対して自信の無さが表れていたり、逃げてしまう一文として出てしまったりするために、自分は大丈夫だと思う必要があるからです。
それでも言える一言は「向いている必要さえない」ということです。
悲しいことに自分が自分でなければいけない理由はどこにもなく、テーマや大枠さえ決まっていれば同じことは金太郎飴のように書けてしまう。
自分はそうではないという証明や、そこから抜け出したい、誰かと違うんだと常に言っていたい。
それが「個性」だと胸を張りたい。その欲求一点なのです。
エゴにまみれた文章は読んでいて面白みがないけれど、エゴが無い文章に個性は表れない。
唯一無二の文章とは、読みやすさとその人自身が同居しているものなのでしょう。
自分がここにいるぞという存在証明を鳴らすことに誰かを巻き込む必要は無いけれど、本当に良い文章は自然発生的に巻き込んでしまう魅力がある。
ブロガーは一生「読みやすさ」と「個性」というバランスに悩んで悩んで悩んでは先に進んでいくのでしょう。
柿生スタジオのまらえもんでした。